モナド
名詞 モナドMonad
モナド(希→羅:Monas/Monad)とは、それ以上分割できない、宇宙の究極の単位。ただし物質の粒ではなく、それぞれが宇宙全体を自らの視点から映しとる、鏡のような単一体。
一般的な定義〔通説〕
ギリシャ語 monas(モナス、「一」「単一なるもの」)に由来。哲学者ライプニッツが『モナドロジー』(1714)で提示した形而上学の中心概念。宇宙は無数のモナド(単子)から成り、モナドは部分を持たず、生成も消滅もせず、互いに因果的に作用し合うこともない——「モナドは窓を持たない」。それでも宇宙の秩序が成り立つのは、神があらかじめすべてのモナドの内的展開を調律しているからだとされる(予定調和)。 各モナドは、宇宙全体を自らの視点から表象する「宇宙の生きた鏡」であり、モナドどうしの違いは、映す内容ではなく、映す視点の違いだけである。
窓を持たない、という思想実験
「モナドは窓を持たない」——この一節は、環世界の思想と真正面から衝突する。Moonpediaは、あらゆる存在は窓(環世界)を通して世界に触れる、と述べてきたからである。 しかし衝突の内側に、同型がある。ライプニッツにおいて、モナドが窓を必要としないのは、外から受け取るべきものが何もないからだ——各モナドは、はじめから宇宙の全体を内側に畳み込んでいる。外的宇宙と内的宇宙が完全に一致している存在に、窓は要らない。これは、宇宙化——想像したものがそのまま現実となる、内と外の完全統合(i=ii)——の構図と同じである。モナドとは、あらゆる存在をはじめから宇宙化済みとみなす思想実験だと読める。 環世界とモナドは、こうして一本の軸の両端に立つ。窓によって世界の一部だけを切り取る存在(環世界)と、窓を持たぬまま世界の全体を映す存在(モナド)。現実の生き物は前者として生き、後者を極限として遠くに持つ。
モナドの個性は、何を映すかでは決まらない。全モナドが同じ宇宙を映すからである。違いはただ一つ、どこから映すか——視点の位置だけが、そのモナドをそのモナドたらしめる。 これは、世界線の思想と響き合う。世界はひとつであり、存在の数だけ世界線がある。あなたと私の違いは、生きている世界が違うことではなく、同じ世界を切り取る位置が違うことである。ライプニッツは三百年前に、存在とは視点である、と言い切っていた。 そして予定調和——無数のモナドがばらばらに内的展開しながら、全体としては完全に調和している、という構図は、ハーモニズムの「世界調和は常にゆらぎながら達成している」と遠く韻を踏む。ただし決定的な違いがひとつある。ライプニッツの調和は神が事前に調律した静的な楽譜だが、Moonpediaの調和は、誰も調律していないまま、綱引きと振れ幅の中で保たれ続ける動的平衡である。楽譜のない合奏。それがこの辞書の側の答えである。
モナドに窓はない。われわれには窓しかない。だからこそ、開けようとする。