唯識

名詞 ゆいしき

唯識(ゆいしき、梵:Vijñapti-mātra)とは、外界に実体があると捉えるのではなく、ヒトが経験する世界はすべて識(認識)の働きによって構成されているとする仏教哲学である。ここでいう「識」とは単なる意識ではなく、感覚・思考・自我・記憶・潜在意識を含む心の全構造を指す。

一般的な定義〔通説〕

4〜5世紀のインドで、無著(アサンガ)・世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成された瑜伽行派の教学。原語 vijñapti-mātra は「表象のみ」を意味し、経験される世界はすべて識の顕現である(唯識無境)と説く。 識の階層について、古典的な唯識(中国・日本では法相宗)は前五識・意識・末那識・阿頼耶識の八識を立てる。これに阿摩羅識を加えた九識説は、摂論宗や天台・真言の系譜で説かれた発展形である。Moonpediaは、この九識の構えを採用する。

九識(きゅうしき)

唯識は、ヒトの識を5段階・9種類に分け、それぞれを「前五識/意識/末那識/阿頼耶識/阿摩羅識」という階層構造で整理している。

唯識は、ヒトの識を5段階・9種類に分け、「前五識/意識/末那識/阿頼耶識/阿摩羅識」という階層構造で整理している。 ※以下の各識に付した現代語への対応は、伝統教学の用語をMoonpediaの座標系へ翻訳した独自解釈を含む。

1. 前五識(ぜんごしき)

意識の"前"にある、五感に対応する識。外界から情報を得る“センサー”の役割。

  • 眼識(げんしき) … 視覚
  • 耳識(にしき) … 聴覚
  • 鼻識(びしき) … 嗅覚
  • 舌識(ぜっしき) … 味覚
  • 身識(しんしき) … 触覚

2. 意識(いしき)

五感からの情報を統合し、"意味"を与える識。 認識や想像を司る。

3. 末那識/真中識(まなしき)

「自分」という感覚を生み出す識。自我、アイデンティティ、“これは私だ”という執着、トラウマなど。サンスクリット語では Manas-vijñāna(マナス・ヴィジュニャーナ)で、「思考・我をつくる働き」などを意味する。 『無意識』と同義。

4. 阿頼耶識/在屋識(あらやしき)

人格の深層ストレージであり、DNAや遺伝子に保存されている種としてのデータベース。記憶。サンスクリット語では Ālaya-vijñāna(アーラヤ・ヴィジュニャーナ)で、「蔵(くら)」を意味する。これが阿摩羅識と接続すると、『集合的無意識』に近い概念になる。

5. 阿摩羅識/天羅識(あまらしき)

あらゆる時空における物理世界・精神世界・多次元世界において、概念・無機物も含めた全存在/無存在のデータベース。サンスクリット語では Amala-vijñāna(アマラ・ヴィジュニャーナ)で、「汚れなき識」を意味する。世界のイデア。アカシックレコード。真理。(※言葉で説明するには不十分) →『全相宇宙(ぜんそううちゅう)』と同義。

相対関係 × 因果関係 = 認知の幅

世界が識の構成であるならば、その識の広さは何によって決まるのか。以下のように定式化される。

【相対関係】

相対関係とは、いま同時に存在するものたちとの縁である。 おちょこが茶碗・湯呑・小皿との辺によって浮かび上がるように、あらゆる認識は、対象を囲む関係の網をどこまで観られるかによって揺れ動く。(→二辺を離れる)。

【因果関係】

因果関係とは、時間軸に矢印が引かれる縁である。 目の前の「一貫の寿司」の背後に、その魚が泳いでいた広大な海、エコシステム、米が育った大地、太陽、雨の恵み、そこに携わった人々、そして寿司職人の技や精神——どこまで遡り、さらにこれから引き起こされる可能性をどこまで先へ想像できるか。(→拳頭握却宇宙一貫

 


認知の幅が足し算ではなく掛け算であるのは、どちらか一方が欠ければ世界が立ち上がらないからである。相対関係だけの世界は時間のない静止画であり、因果関係だけの世界は幅のない一本の線である。網と線が掛かって、はじめて世界は立体になる。 この幅こそが、その存在の環世界の窓の広さであり、視座を構成する網羅性(=相対関係の広さ)・時間幅(=因果関係の射程)と同じ構造である。