伝統

名詞 でんとうTradition

伝統(でんとう、英:Tradition)とは、絶えず新しいものである。 ただ同じものを継承しているだけでは、古くなり、飽きられ、途絶える。永く続くためには、時代との接点を常に模索し、柔軟に変化し、アップデートしなければならない。つまり、伝統とは変化と挑戦の歴史である。 そして、いま残っている伝統技術や思想は、蓄積された歴史における最高到達地点である。受け継がれてきたものをさらに高めようと試行錯誤し、その結果として、新しいものが生み出される。たとえば、人間国宝(重要無形文化財保持者)によって生み出された作品は、どれも斬新でモダンな印象を受ける。したがって、伝統を守ることは、新しいものを生み出すことと同義といえる。

伝統に対するネガティブな認識と原因考察

伝統には、「古くさいもの」「堅苦しいもの」「高価で手がつけにくいもの」といった側面もある。こう感じる理由は下記が挙げられる。

深みを感じるまで味わえていない

永く続いているものほど、それ自体が内包する世界観や哲学が深く、膨大である。ゆえに、それを体感し、腑に落ちるのにもある程度の時間を要する。目まぐるしいスピードで変化する忙しない現代において、ここに時間を割く余裕がなくなってきていることも要因である。

本来の目的や本質が形骸化している

本来、暮らしを楽しく豊かにするための物事が、時代を経てその目的や本質が薄まり、形だけが残る例も存在する。たとえば、茶道(さどう)とは本来「お茶を楽しく飲む」ための一連の趣向や遊びの精神であるはずが、その目的が欠如した状態で作法や型を頭ごなしに叩き込まれるなどがその一例である。もちろん、形式的な動作の反復によって本質に近づくこともあるが、それは継続的に十分な時間を割いて学ぶ姿勢がある前提である。また、道を極める"守破離(しゅはり)"の手順を踏んでいない「型無し」の状態による表層的なビジネスが蔓延していることも原因のひとつである。

審美眼の低下

大量生産・大量消費の潮流では、"安価でそれっぽいもの"が市場を占め、"値は張るが上質なもの"が淘汰されやすい。この過程で「良いものはなぜ良いのか」を測る審美眼と教養が断絶した。たとえば石油系パラフィンキャンドルは安価だが、タール状の煤(すす)や油煙を放出し、壁紙や空調ダクトを汚損させるため清掃・補修コストが累積し、長期的コストパフォーマンスは低い。対照的に、植物由来の木蝋を用いる和蝋燭は煤・油煙が極めて少なく、初期価格は高いもののメンテナンス費を抑えることで総合コストパフォーマンスに優れる。価格のみを尺度とする風潮は素材・技術・時間に潜む不可視の価値を評価する能力を鈍らせ、職人文化を損なう。短期的な安さが長期コスト増を招く場合があるため、価格に加えて保全費用や文化的価値を含む総合的価値基準の再構築が求められる。

記憶と継承

伝統とは、技術や形式を保存・継承するための仕組みというだけでなく、何世代にもわたって記憶や知恵を繋げる文化的装置としての役割を持つ。そこには、過去の痛みや喜び、祈りや願いといった人々の感情の層が物理的なかたちとなって積み重ねられている。

日本の芸能や伝統工芸には、しばしば「鎮め」「祈り」「再生」「循環」の意識が流れており、失われたものを想い、形を通して次代へと託す精神が息づいている。(→芸術供養を参照)