シンプル
形容詞 シンプルSimple
シンプル(英:Simple)とは、誰から見てもわかるように、装飾や複雑さを削ぎ落とすこと。単純化・普遍化であり、その動機は伝達の速さと確かさ。ゆえに、没個性的——そしてそれこそが、シンプルさの力である。
一般的な定義〔通説〕
ラテン語 simplex(一重の、折り重なっていない)に由来。複雑(complex=編み合わされた)の対義語。単純な、簡素な、平易な。デザイン、工学、文章術など、あらゆる伝達の領域で美徳とされる。
「シンプル」と「ミニマル」の比較
シンプルとミニマルの違いは、削った結果ではなく、削る動機にある。
| シンプル | ミニマル | |
| 目指すもの | 普遍・単純・洗練 | 強調 |
| 動機 | 誰にでも機能すること | 愛するものを際立たせること |
| 削る基準 | 無駄がないか | 主役が引き立つか |
| 効率 | 重視する | 度外視する |
| 個性 | 没個性的 | 個性的 |
シンプルの例
- 誰が見ても迷わない標識
- 説明書がなくても使える道具
- 同じ服を何着も持つこと
削りの基準は「無駄がないか」であり、正しく削れば削るほど、形は万人に共通の一点へ収束していく。優れたデザインに、作者の顔は要らない。没個性とは、シンプルの欠点ではなく、「洗練」の裏返しである。
ミニマルの例
- 一輪の花のための床の間
- 一着のコートを際立たせるファッション
- 一脚の椅子のための部屋
シンプルが形を普遍の中心(→ベルカーブの中央)へ引き戻す力ならば、ミニマルは形を固有の極(→ロングテールの右端)へ引き伸ばす力である。 デザインの領域では、シンプル or ミニマルの綱引きがしばしば発生する。どちらが正しいのではない。伝えるための道具はシンプルへ、愛でるための作品はミニマルへ——役割が違うだけである。
オッカムの剃刀
「必要なしに、多くを仮定してはならない」——14世紀の修道士オッカムのウィリアムに帰される思考の原則。同じ現象を説明できる仮説が複数あるなら、仮定の少ないほうを選べ、という指針であり、科学の営みを底で支え続けてきた。 剃刀が削ぎ落とすのは、説明に寄与しない仮定である。削りの基準は好みではなく「なくても成り立つか」であり、向かう先は、誰にとっても検証しやすい普遍——まさしくシンプルの運動である。 ただし、剃刀は真理の保証ではない。単純な説明が常に正しいわけではなく、世界がその複雑さを本当に必要としているとき、剃刀を当てれば説明は歪む。剃刀は仮定を剃るための道具であって、現象を剃るための道具ではない。
単純は、単調ではない
シンプルの敵は複雑さだが、複雑さには二種類ある。 意味を運んでいない複雑さ——過剰な装飾、もったいぶった言い回し、迷わせる導線——は、削るべき対象である。しかし、対象そのものが本来持っている複雑さを削れば、それは単純化ではなく歪曲になる。ここはシンプルにする上で特に注意すべきポイントである。 シンプルとは、嘘をつかずに済む範囲での、最大の平易さである。
「洗練」とは
洗練(せんれん)という日本語は、工程の名前に由来する。「洗い」は不純物を落とすこと、「練り」は生糸を煮て膠質を除き、繊維をしなやかにすること。どちらも、何かを加える動詞ではなく、もともと在るものから、余計なものを取り除く動詞である。 洗練は、一度では成らない。練るとは繰り返しの動詞であり、洗練とは反復による引き算——時間をかけて、削っては確かめ、削っては確かめる工程の堆積である。俳句が十七音に世界を収めるまでに数百年の推敲の伝統を要したように、また自然法則の数式が短いほど深く届くように、削り抜かれたものだけが、平易さと深さを両立する。 なお、英語の sophistication は、もともと「混ぜ物で汚すこと」(sophist=詭弁家に由来)を意味する否定的な語だった。日本語の洗練は「洗って落とすこと」。正反対の来歴を持つ二つの語が、いまや同じ高みを指している。
シンプルさは、究極の洗練である。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)